静かに死にたい

いまだに生きてる。結構しぶとい。

死にたいと考えること

死にたいと考える。私は何度も考えた。ここにもそれを何度も記した。ではなぜ、死にたいと思うのか。

極論、「疲れているから」に他ならないと思う。私が自殺未遂をした時の一番の気持ちは「疲れた、楽になりたい」だった。もうそれ以外考えられなかった。目が眩んでいたのかもしれない。

とある映画を見た。物語も中盤に差し掛かった頃、大きな挫折を味わった主人公が「死にたい。疲れた」と言った。大の大人が散々泣き喚いた後、突然大人しくなりぽつりと呟いた言葉。これが私の何度も何度も死にたいと思ってきた古傷を抉った。そうだ。そうだった。死にたいと思う時は、こんな風に擦り切れて擦り切れて八つ裂きになった果てに、溢れ落ちる疲れたという感情から来るものだった。

頑張りすぎているのだ。全てにおいて、手を抜くということを知らない。ガス抜きを知らない。己の中に苦しみを目一杯溜め込み続けて、溢れてしまった結果が死にたいという感情なのだ。

辛い経験をしていない人などいないだろう。だが、ほとんどの人は辛い経験をどうにか処理して身体の外へ流している。それができないから、溜め込んでしまうのだろう。

 

以前から悩んでいる事がある。

友人や家族に、腹の立つ事を愚痴や笑い話として言うことはできても、苦しみや辛さを打ち明ける事ができない。

おそらく自分の中に、そんな事を言われても困るだけだという気持ちがあるからだとは思う。しかしそれができるのが溜め込まない一番の解決策なんだろう。

 

いつの日か、自分の苦しみと上手に向き合える日が来るだろうか。