静かに死にたい

いまだに生きてる。結構しぶとい。

怒りっぽい人、人間不信になりやすい人は周りへの期待値が高い

※注意※

当記事は筆者の一考えであり、全ての人に当てはまるものではありません。すぐにイライラしてしまう、人を信じられないなどの悩みを抱えている方の解決のヒントになれば幸いです。

 

 

 

ここ最近よく思うこと。イライラしてしまったり、人を信じられなくなってしまう気持ちの裏側にあるのは、信じすぎてしまう自分の気持ちではないか?ということ。

 

例えばどういうことかと言うと、今まで私は苦しくなると、「誰も助けてくれない」「誰も気にかけてくれない」「どうせ一人ぼっちなんだ」などと考えていた。でもこれは、「困っていればきっと誰かが助けてくれるだろう」「辛そうだったらきっと誰かが気にかけてくれるだろう」「いつも誰かが自分を見てくれているはずだ」という期待の裏返しなのである。でも、一度落ち着いて自分に置き換えて考えて見た。

はたして、自分は周りの全ての人の顔色を逐一気にしているだろうか?

はたまた、気にしていても、苦しんでいることや悩んでいることに気づくことができるのだろうか?

 

正直、心の底から「できます」と言える自信はない。1番身近な家族でさえどんなことに悩んで今何が苦しいのかもわからないのに、それを相手に期待するのはお門違いではないだろうか。

要は自分ができないのに相手ができるわけないだろうという話だ。

 

これに気づけると、案外気持ちがスッキリする。相手の言動や行動にイライラしたときや、がっかりしたときに何故自分はそう思ったのかを考えると根本に"期待していたから"というのが見えて来る。気持ちを見直して見えてきた"期待"を減らしていくことで、今後同じことが起きたときにイライラしにくくなるのだ。

 

例えば後輩が以前に教えたことができず、「なんでできないんだ!」と思うこともあるかもしれない。しかしそれも、「一回じゃできないよね。」と思えるようになれば、イライラすることもなくなる。ちなみにこれは、子どもにも言えることだ。

悲しくて悲しくて今にも泣き出しそうなとき、「誰かが気づいて慰めてくれるだろう」と思うのはまず間違いだ。辛ければ待っているのではなく、自ら助けを求めるのだ。他人の感情など分からないのだから、口にしないと伝わるわけがないと常に思っておけば助けを求めるのも容易になるだろう。

 

以上のことから、人には期待しすぎず、ほどほどの感情で付き合うと大変穏やかに過ごせるし、相手のためにも自分のためにも良いということが言える。

冒頭で書いた通りこれは私の一考えであるので自分はそうではないと思う方もいるかもしれない。

ただ、この記事を読んで少しでも心を楽にしてくれる人がいれば大変嬉しいなあと思う。

 

 

 

さて、ここからは完全に蛇足だが最近よく考えていることをもう一つ。

 

世間でよく言われる「優しい人」というのは、上記をふまえて「周りの人へあまり期待していない人」と言えるのではないだろうか。

「あの人、優しくていい人だな」と思ってた人が実は期待していないだけと思ってしまうと少し悲しくなるが同時に面白いとも感じてしまう。

 

逆説的に、いつもカリカリしていて扱いにくい人は、「人に期待しすぎてしまう人」なのだ。そう考えると、怒りっぽくて苦手な相手でも少し愛着が生まれるのではないだろうか(笑)

 

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。